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れきし
'72〜'74年
'75〜'77年
'80〜'90年
'91〜'98年
'98年〜2004年
2006年〜現在
その他の演奏会
1972年6月、創立25周年記念式典で栄光フィルは産声を上げた。指揮は沖喜英雄先生、在校生、卒業生、父兄など20人ほどのメンバー、
伊藤洋子さん(25期母)のソプラノ独唱でモーツァルト作曲のモテット「踊れ、喜べ、汝幸なる魂よ」を演奏した。沖喜先生はきっと以前
から構想を温めておられ、それが記念式典という場で形になったのだろうと思う。当時大学生だった私も声をかけていただいて参加、以来
32年になる。詳しい様子をおぼえていないので、当時式典の司会をされた元副校長の青木先生のお話を紹介する。
…プログラムには何も書いてなかったんですよ。シュトルテ先生の記念講演などが終わって、私が「これからオーケストラの演奏が
あります。」と言うと、「まさか…」といった冷ややかな、笑い声の混じった反応がありました。幕が開いて、本当にオーケストラ
がいるのを見ると、みんな非常にびっくりしました。そして演奏が終わるとすごい拍手でした。本当に喜んでくれたと思いますよ…
その後「もーつぁるとの午後」「moment musical in strings」「クリスマス・コンサート(学園聖堂)」など、校内を中心にさまざま
な演奏会の試みがあった。
1975年になると、県立青少年センターホールなどの音楽会場に進出、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなど古典派のシンフォ
ニーを演奏するようになる。2年ちょっとの間に6回のコンサート、すごいハイペースである。私の手元に75年5月22日の演奏会のプロ
グラムがある。" EIKO PHILHARMONIC SOCIETY ORCHESTRA "というネーミングに沖喜先生の意気込みが感じられる。興味深いのは
沖喜先生の文章、「…今までこのオーケストラの中堅となってこれを支えて来た24期生が高3となり、それでもなおかつ頑張ってくれて
いる『勇者』数名を残して『引退』してしまった為に、一時はコンサートはおろかオーケストラ本体さえも、存亡の危機に迫られた感があ
ったのです…」とある。「存亡の危機」という言葉はこの後何度か私の脳裏をよぎることになる。
ここは乗り切ったものの、1977年4月の演奏会の後、栄光フィルは3年間活動を休止する。再開されたのは80年4月、県立音楽堂で、
ペルゴレージ作曲「スタバト・マーテル」(ソプラノ 加納純子さん、アルト 辻宥子さん)を演奏した。一人の生徒が「先生、また演奏会
をやりましょうよ…」と言ったのが再開のきっかけだったと聞く。
毎年4月の定期演奏会は98年まで続く。長い安定期といえる。その間、ヴァイオリンの諏訪内晶子さん、梅津美葉さんなどをソリスト
にお迎えしている。
95年の22回定期演奏会では、モーツァルトの「戴冠式」ミサ曲が演奏された。吉田秀文先生(テノール)が音楽科に就任し、大型声楽曲を
取り上げることが多くなった。
1998年に沖喜先生が栄光フィルの指揮者を引退、後を引き継いだ吉田先生は、ヘンデルの「メサイア」、モーツァルトの「レクイエム」
などを指揮した後、2001年に群馬大学に移られた。そして2人の学生指揮者、高橋広行くん(51期)、内藤晃くん(52期)の登場、この
数年の展開はドラマチックである。栄光フィルにどのような将来が待っているのか予想がつかないが、何度もの「存亡の危機」を乗り越え、
その度に新しい姿に生まれ変わる生命力には感動を覚える。栄光フィルはフェニックス、"Eiko Phil Forever"である。
(2004年11月2日 同窓会50周年記念コンサートのプログラムより 飯野習一)
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